「なかなか似合うじゃないか」
一人用の個室、ヴァスの部屋に入ってから最初にアルトに向けられたその言葉は、ヴァスの口から出たものだった。
「ありがとう、伯父さん」
アルトはそう答えるが、自分でも分かるほど、声に気持ちがこもっていない。
気づいてもらえるのも、似合うと言ってもらえるのも、本当にうれしい事なのだが、しかしと、アルトはちらと、瞳だけをクランクに向ける。
すでに部屋の片隅に立て掛けられたように壁に寄りかかっている大柄の青年は、ただただ話が始まるのを待っているだけのようだった。
何を思っているのか分からないが、少なくともこちらを見てはいない。
それが、妙にアルトの胸の打ちに引っ掛かる。
「で、これからどうするって話だい?」
その背後から、リィナがぶっきらぼうな物言いで口を開く。
クランクがアルトの髪形に何の反応も示さなかったのが不愉快なんだろうと、理由は察せる。
アルトにとってもそれは同じように……、
(怒ってるの……わたしが?)
だとしたら理由はひとつだが、何故そこに? と、アルトは頭の中に浮かんだ疑問に対して問いかけていた。
「説明する、座ってくれ」
だから、そういうヴァスの言葉も、その言葉に甘えて部屋の真ん中にあるテーブルに添え付けられた椅子に座るリィナも、アルトの中で通り過ぎて行く。
「アルト?」
だからヴァスに呼びかけられて我に返ると、みんな部屋の真ん中に集まっている中、自分だけ入り口に一人であることに気づかされた。
「どうかしたか?」
「え?」
追い打ちのように、男の声。
アルトは思わず声を上げながら、意識をクランクに向けるが、彼はこちらに目を向けるでもなく、遠くでも見ているような目付きで部屋の中央に目を向けている。
呼びかけてきたのは、伯父だったのだ。
アルトはともかく「なんでもない」と言って、リィナとヴァスの囲うテーブルに歩み寄る。
そうして、伯父に席をすすめられるままに座ると「これからの事だが……」と、彼が話しを始めた。
「リィナ君は、エキドナ村というのを知っているか?」
「2、3年前くらいにできた"遺跡村"だってのは聞いてる、アタイは……」
伯父と姐の会話が正面で始まったのを聞いていつつも、アルトの意識はそこになく、テーブルを囲むその場の外を向いてしまう。
部屋の隅で壁に寄りかかって他人事のようにこちらに……いや、テーブルの三人に目を向けているクランクに。
「そうだ、あそこは数年前に見つかった遺跡を元に……」
(いつもなら……)
自分がボケッとしていたら、いつもならクランクが「どうかしたか?」と、言ってくれたろうな、と、アルトはそんなことを思った。
そうじゃなかった今の瞬間が、妙に残念で……、
「私も同行するが念のためだ、地図で場所を……」
(期待して……た?)
クランクに呼びかけられるのを?
クランクが心配してくれるのを?
なんで? と、ふと、アルトの中で疑問が……、
――バサァ!
「きゃあ!?」
浮かんだその時、目の前で突然白いカーテンのようなものが襲いかかってくるように大きな音を立てて広がってアルトの視界を奪った。
「アルト?」
「なんだい、いきなり」
伯父と姐の何の気のない、というよりは、むしろ自分の反応に驚いたというような声にアルトは目我に返って目の前に意識を戻す。
テーブルの上には覆いかぶさるクロスのように地図らしきものが広げられていた。
いや、紛れも無く地図である。それも、ここバルボア地方といわず、アポロ山脈一帯のものだ。
目の前で広がったのがそれだったと気づくと、アルトは気恥ずかしい思いで「ごめんなさい」と、つぶやく。
「我々が向かうのはここだ」
そう言いながら、ヴァスが示したのはエキドナと書かれた村の位置であった。
「エキドナ……?」
アルトは指し示された村の名前をつぶやく。
王都領南部の農村地帯出身である彼女にしてみれば、当然ながら見知った土地の名前は数ある訳ではない。
ないが、アルトの反応には、ヴァスもリィナも、はてと怪訝な顔付きになっていた。
「え……あの……?」
何をまずいことを言ったつもりのないアルトは、二人の白い目がどういう理由か分からずに戸惑いを漏らす。
そんな彼女に、リィナが「はぁ」と、ため息をついた。
「話、聞いてたかい?」
「え……あ、その……」
次いで出た彼女の言葉に、アルトは思わずしどろもどろになったが、それはすなわち答えでしかない。
「アルト」
だから、今度は伯父の厳つい言葉が飛んできて、アルトは「ごめんなさい」と、そう言うしかなくなった。
「アンタのことなんだから、ちゃんと聞いてなくちゃね」
「うん……」
とは言いつつ、アルトはちらとクランクを一瞥する。
彼は、やはり先程までと変わらず視線だけを三人の席に向けているだけで意識は別のところを向いているような、どこか上の空といった顔をしていた。
「気持ちはわからんでもないけどね」
ぼそりと、耳元で自分にしか聞こえないくらい密やかな女性の声が届いて、アルトはリィナに顔を向ける。
「エキドナなんて変わった名前の村だしねぇ」
その後に続いた"嘘"に、アルトは反射的に「そうですよね」と答えた。
アルトのそういう反応に満足したか、リィナは「さてと」と言いつつ、ヴァスの広げた地図に目を落とす。
「中央都方面だから、このまま北上ってところさね」
「そんなところだが、歩きでは時間がかかる、こちらの居所が法皇都側に知られているなら乗合馬車を使おうと思うが、どうかな?」
言いつ、ヴァスは地図上のドラノフ村を指し示し、
「ここから東にマイル・スパウアという中継村がある、そこに移動して乗合馬車を使う」
と、地図を歩くように指を動かしてマイル・スパウアとかかれた地点で止めた。
「中継……?」
「この地方一帯と中央都、あるいは王都との貿易を取りまとめてるとこ、って感じかね……アルトの地方にも、そういうのがなかったかい?」
ふとつぶやいたアルトの言葉にリィナが聞き返してきて、不意に彼女の脳裏に故郷の近くの街であるマテニア市のことが思い浮かんだ。
マテニア市はアルトの故郷やその周辺の村が農作物を収めたり、競りにかけたりする場所であったから、多分、想像している物として間違ってはいないだろうと思い、アルトは「多分、あったと思います」と答える。
リィナにもヴァスにも「マテニアみたいなところですか?」と聞いてもきっと分からないと思った。
ヴァスと合流できたのはこの宿屋でだし、リィナもマテニアを抜けて王都に入ってからである。
マテニア市の事を知っているのは、アルト自身と……、
(それと……)
と、アルトはちら、とクランクに一瞥を向けた。
彼は先程までと同様、こちらの様子を見ている振りをしているといったふうで、心ここにあらずと言った顔をしている。
――何か気になることがあるのだろうか?
「法皇都の奴らに狙われりゃしないかい?」
と、不意にリィナの声が耳に届いて、アルトはまた意識がその場から離れようとしていたことに気づいて、ほとんど無意識のうちに伯父へと視線を向ける。
法皇都に狙われる……それは、アルトだけを狙って襲いかかってくるということではない。
王都ではアルトを捕らえるために何の係わりもない人たちが殺され、故郷のフレアや大人たちも危害を加えられた。
ここ、ロッキーズ・インだって、そうなのである。
「問題ないだろう」
と、渦巻き始めた懸念を一蹴するかのように、ヴァスが何の気なくと言った口調で口を開き、つづけた。
「奴らが仕掛けるなら、それこそエキドナ村だろうからな」
「そう……なんですか?」
はっきりと言い切る伯父の言葉に、アルトは怪訝につぶやく。
「"遺跡村"だから、考古大好き法皇都の連中が隠れるにはうってつけ、そんな訳かい?」
困惑するアルトの横から、リィナが代わりに口を開いた。
「そういうことだ」
ヴァスは答えると、そのまま続ける。
「もともと、私があの村に……」
……エキドナ村の遺跡に目をつけていたのは、法皇都も知っている。と、伯父は言う。
「なるほどね、だから……」
……わざわざ遠出をして襲撃しなくても、待ち構えておけばいいのか。と、姐が納得した。
「んでも……」
……それじゃ、罠の中に飛び込むようなものじゃないのかい? と、姐が続ける。
「対策は講じているつもりだ」
……と、伯父が答えた。
そういう二人のやり取りをききつ、アルトは、いつの間にか再び意識がクランクに向かっていることに気づく。
彼もアルト同様、どこか遠巻きにヴァスとリィナのやり取りを見ているようで、何か上の空といったような顔をしたままだ。
自分たちが来る前に伯父と何を話したのだろうか。
それを知らなければ、きっとクランクが何を考えているのかは解らない。
ただ……。
(いつものクランクなら……)
アルトが気にかけていることに気づいてくれただろう。
それ以前に、きっと髪形のことも……。
――似合うじゃねぇか。
不意に、アルトの脳裏の中のクランクがそんな事を言った。
予想していた言葉、聞けなかった言葉。
……聞きたかった言葉?
「なんだか……嫌だな……」
不意に、アルトの口から言葉がこぼれる。
嫌なのは予想を裏切られたことに対して落ち込む自分と……それに……。
「どうかしたかい?」
「何が嫌なんだ?」
と、アルトのこぼした言葉に姐と伯父が即座に反応した。
「あ、いえ……な、なんでも……」
そう言って、アルトは"それに"の気持ちごとその場をごまかした。
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